アスリートたちとの出会い        ①

茨城時代には、多くのアスリートたちとの出会いがありました。

もちろんアスリートケアとして彼らと付き合い多くを学びました。

特に鹿島アントラーズ選手においては、当時の得点王:長谷川祥之君を筆頭にケアさせて頂きました。オーバーユースといえる過度の運動量によるスポーツ障害や疲労の蓄積はプロならではのものですね。当時はJ1発足の影響で地域の少年サッカー熱が高まり、その影響で地元の鹿島学園高校などは強豪校へと成長しました。また茨城トライアスロン協会とのご縁でもお世話になりました。各種トライアスロン大会にも顔を出させて頂きました。思い出深いのは、少年野球チームをケアしていた関係でその子供たちがシニアへと進み、そして常総学園など高校野球で活躍し甲子園に出場したことでしょうか。当時の常総は有名な木内監督でしたね。甲子園のマウンドで小原弘友紀や立野君が投球したときは最高の喜びでした。彼らは大学野球で頑張っているようです。

骨折と脱臼の日々            ②

茨城時代には幸運にも北品川病院勤務時代のドクターが近隣市町村で開業されていた関係で多くの骨折や脱臼の急性外傷を精査(レントゲン・MRI)頂き整復してきました。整復とは、骨折や脱臼を元の状態に徒手で矯正することです。骨折の予後管理は非常に神経を使います。神経圧迫や骨片の介在など留意しながらの管理・リハビリとなるので結構日曜日も観察を要する患者さんが多くいました。経過レントゲンを依頼し何度もチェックした症例も多くあります。整復時は、スコッチキャストギプスや石膏ギプスそしてシーネも多用しながらの整復と加療です。ギプスカッターでギプスをカットするときなどは、周りで見ている患者さんやご家族は「電気ノコギリか!!」と驚く始末です。ギプスカッターは歯が回転していないので安全なんですよ!と自分の掌にわざわざカッターを当てて説明することも度々でした。

我々の仕事は、近隣の整形外科ドクターとの信頼も非常に重要な業務です。

今回の宇城での開業に際しても近隣の整形外科や一般病院にも「開業の挨拶」に一軒一軒訪問しご挨拶させて頂きました。