第16回 脳の衰えよりも早く

じつは、脳の衰えよりも早く衰えるのが、感覚器の衰えです。感覚には5感(5覚)といわれる、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、皮膚覚のほかに深部感覚や内臓感覚もあるのですが、こうした感覚器の衰えは、脳の衰えよりも早く来ます。誰もが経験する老眼は高齢になってくる視覚の衰えですし、“聞こえが悪くなる”高齢者の難聴は聴覚の衰えです。あまり気づかないのですが、年をとると食べ物の嗜好が変わると言いますが、これは味覚の衰えから来るものといってもいいですし、嗅覚に衰えが来るので臭いに敏感ではなくなるのです。湯たんぽなどで火傷をしてしまうのも温痛冷覚の衰え、つまり皮膚覚の衰えから来るものなのです。

こうした感覚器の衰えによって私たちの脳はこれまで得てきた外界の情報が歪められて脳に達することになります。脳が正常に働いていても感覚器から来る情報が歪んでいるのですから情報をキャッチした脳は、その歪んだ情報を認知してしまいます。言い換えればq謝った認知によって状況を判断するようになるのがお年寄りの判断と言えるのです。老眼になったとか難聴になったと言うだけではなく、視ているものがこれまで認知したものとは違っていたり、聞いている音がこれまでのものとは異なっているのですが、本人が気づかない場合もあります。味覚認知が歪んだために起こったにも関わらず本人はそれに気づかないで“食べ物の嗜好が変わった”と思っているのもそういえましょう。

感覚器から来る情報に歪みが生じるだけでなく、その情報を受け止める脳そのものにも衰えが来るのですから高齢になって判断に狂いが生じるのは当然といえば当然なのです。

 

第17回 こころを衰えさせないことが重要

ところでこれら感覚器の衰えも脳の衰えも、一様にそして一斉にさらにすべての面わたって来るというのではありません。視力低下にもいろいろあるように、そして難聴にも高音難聴や低音難聴があるように、味覚にも甘味や塩味、酢味や辛味、さらに旨味などなどのどの面が早く衰えるかは人によって異なります。こうした感覚器の衰えも「まだら」に来るのですが、同じように脳の衰えも「まだら」に来ます。

昨日や今日のことばかりか、朝ご飯を食べたかどうか覚えがないというような直前のことを忘れてしまうような記憶の障害もありますし、計画性はあまり落ちないのに計算力が低下するといったことや、「鉛筆」とか「万年筆」という名詞が出なくて「書くもの」といってしまうような言葉の衰えもあります。これら、いわばこころの衰えもまだらに来るのです。これらを「まだらボケ」などといいますが、まだらボケは感覚器の衰えから来るもののほか脳の働きの衰えから来るものもあります。

そのいずれも本人の自覚によってかなりの修正がききますから、うまくタイミングよく修正できればこころを衰えさせなくてもすむのです。感覚器や脳の衰えをうまく修正して認知力をあまり低下させず、こころを衰えさせないのは人間関係なのです。人間には意思の疎通を図るために「ことば」をもっていますが、その言葉を交わすことがこころを衰えさせない上で重要です。赤ちゃんが親の言葉掛けでこころが広がるように、お年寄りもまた周囲の人の言葉掛けでこころが広がっていきます。

第18回 言葉を交わすことがこころの衰えを防ぐ

 赤ちゃんが親の言葉掛けでこころが広がり言葉を覚え親と言葉を交わすことができるようになっていくように、お年を召してもときには認知症といわれる状態に陥っても、周囲がさまざまな声掛けをしていると、お年寄りの心がその声掛けで“目覚め”、言葉を発するようになります。言葉も発しなくなったようなお年寄りはこころが衰えたように見えますが、こころの衰えは「まだら」なのですから手がかりをつかめばこころの奥底に隠れていた言葉が表に出てきますし、こころの衰えも回復してくるのです。言葉を交わすことがこころの衰えを防ぎますが、いったん衰えたこころもまた言葉掛けによって活性化してこころの衰えを回復させるのです。

 私の父は、まったく言葉を失ってなにも話せなくなっていましたが、父の肩に手を置きわずかに揺すりながらわずかずつ声掛けを続けているうちに、私の声に応じるように顔を上げるようになり、私の顔をじっと見つめるようになっていきました。そして声掛けに応じて首を上下し頷いたり、首を振って「そうではない」という意思表示をするようになったのです。そしてまだ言葉を発するようになってはいませんでしたが、自分の意思で行動するようになり、母の留守中にかかってきた電話に出て、そのことをミミズがのたくったような字でメモ書きして残し、母を驚かせたこともあります。

排尿・排便に失敗もありお漏らしをしていた父でしたが、私がケアをはじめて半年たつころになると、まだ言葉を話すことは少なかったのですが、私と一緒なら外に散歩をしてくれるようになりました。

 

第19回 「こころの栄養」とは人と交わす言葉

もう少し父のことを語らせてください。ときには手を握り、肩に手を置いて父に語りかけながら2ヶ月から3ヶ月たったある日、父の育った家にことを話題にしました。私は広告紙の裏を差し出して「お父さんの生まれた家には長屋門があったんだよね」と話しながら門柱を描き、その脇にあったとかつて聞かされたように馬小屋を描いていますと、父は私から鉛筆を取り上げて玄関を描き廊下を描いて中庭にあった池を描いていきました。まだほとんど言葉は出ませんが、何となく私に語りかけるようにしながら家の図面を完成させようとしたのです。

こうしてときには手を握ったり肩に手を置いて話すことほぼ半年を過ぎると私と一緒なら門から外へちょっと出るようになり、1年たったころにはほぼ30分ぐらい、さらに1年半を過ぎたときにはほぼ2時間ぐらいの散歩ができるようになりました。こうして2年たったときにはまったく以前の父と同じように話ができるようになったのです。その頃のある日、母と私が話しをしているところに父は、「それはなあおまえ」という言葉で割って入ってきました。その瞬間、母は「お父さん、昔とおなんなじになった」といったのを鮮明に覚えています。

そうです。「こころの栄養」とは人と交わす言葉なのです。人は目と目で語り合い、言葉を交わすようになってこころを働かせていくのです。子どもがそうであるように大人もまたそうなのです。そしてお年を召してこころが衰えた方も目と目で語り合い、言葉を交わすようになってこころの衰えが回復していきます。人と人のつながりがこころを回復させるのです。

第20回 いったんここでシリーズは終了としますが

私が精神科医であることははじめの方にお断りしましたが、精神科医として精神障害者の方々がこれまでのように一般社会のなかで、生き生きと生きてほしいと願いながら診療に力を入れてきました。精神障害の方々とおつきあいをしながら気づいたことをできるだけ一般化してお伝えしながらこのシリーズのまとめとしたいと思います。

そのひとつは、人に転機は「3時間、3日、3週間、3ヶ月、3年そして30年」という区切りに訪れると言うことです。社会に再チャレンジしようとする精神障害者が挫折するタイミングといってもいいのがこの「3シリーズ」なのです。せっかく仕事に就いたかと思っても3時間たつと逃げて帰ってきてしまう人、3日はなんとかがんばったがダウンする人、3週間ほどすると責任をもたされることが出てきて恐れをなして辞める人、3ヶ月して責任をもたされて潰れる人、せっかく3年も続いたのに“いやになった”というひと言で辞めてしまう人などなどです。この一般社会にも当てはまります。

もうひとつが精神障害者の地域生活の継続に必要なものは、「役割」であり「責任」であり、さらに「期待」であるということでした。一度発病して社会から放り出された彼らですが、「役割」が彼らを社会に引き留めます。役割のまえに「責任」をもたせますと潰れてしまいますが役割に続く責任には彼らも応じてくれます。さらにそこに「期待」を掛ければ彼らの地域社会生活は持続するのです。これまた、一般社会に当てはまります。

ながいことおつきあいいただきまして有り難うございます。これでまずは20回シリーズの終わりとしますが、ご要望があれば再登場したいと思います。お読みいただいてのご感想やご意見をいただければ幸いです。最後に、こうした機会を下さった温香堂鍼灸整骨院院長の高口温生氏に深く感謝しながら筆、ではないキーボードから指を措きます。